千紫万紅、柳緑花紅

   三の章  春待ち雀  (お侍 extra)
 



     
小春日和



 青々とした畳も清かに匂い立つような、それは暖かな盛春の、いいお日和の射し入る奥座敷にて。久方ぶりの再会となった四人は、至って和やかに談笑の時を過ごしており。あの時はこうだった、あれはさすがに驚きましたねぇ、いやだ、その話はこないだお見えになられた時も持ち出しませなんだか? それだけ印象深い話だってことさね、第一 この久蔵殿があんな態度を取るとは…と。順番に肴にしたりされたりで、なかなか思い出話は尽きぬ模様。そんな彼らの喉も渇こうと、新しいお茶を淹れてそぉっと運んで来たのは、勘兵衛らが訪のうたことを店中に高らかに知らせたあの少女で。
「…。」
 主人夫婦が一番大切にしているお客人。ドキドキと緊張してのことか、そろりとお茶を卓に置き、やれ零さなかったとついの吐息をついたのへ、
「…かたじけない。」
 さして大仰にはならぬよう、ほのかに笑みを見せながら、それなりの小さな声で礼を告げた久蔵だったのへ、
「〜〜〜〜っ。////////
 まだ童女の域を出るか出ないか、そんな幼さであろうその少女は。耳や首まで真っ赤に染めると、それはあたふたと立ち上がり、お辞儀やお作法もそこそこ、飛び出すように座敷から出て行ってしまう。そして、
「おやおやvv
 七郎次や雪乃、勘兵衛には通じる、いかにも微笑ましい可愛らしさが、だが、当の本人には…どうしたものか、通じてなかったらしくって。
「…そんなに妙か。」
「はい?」
 微笑ましいどころか憮然として呟いた久蔵の言いようへ、意味が掴めず訊き返した七郎次へと、代わりに応じたのがその連れ合いの勘兵衛だ。
「なに、自分がそんなに妙な顔で笑うのだろかと、馬鹿にされたとでも思うらしくての。いつもいつも憮然としやるのだ。」
「はいぃ?」
 くつくつと喉奥を震わせて笑う勘兵衛だとて、一番最初に訊かれたときは、そんな筈がなかろうがと、今の七郎次と同じくらいに唖然とした。事実は全くの逆であり、鄙にも稀な麗しの君のそのお顔に滲む、品があってそれは臈たげな笑顔へと、初心な女性は固まるし、男であっても視線を外せなくなってどぎまぎするだけのこと。だってのに、周囲があたふたと浮足立ったり、しゃちほこ張ってしまう様がどうにも理解出来ない久蔵としては、自分の笑顔はそんなにも奇妙奇天烈なんだろかと。見当違いなことを感じては、むむうと眉を寄せてしまうらしい。そんな彼の不平に満ちたお顔を見るにつけ、

  “随分と表情豊かになられましたよね。”

 昔は本当に、笑いもしなけりゃ怒りもしないで。いつだって冷然とした無表情なまま、澄ましたお顔で通していたお人だったから。微笑っただけなのに馬鹿にされたと、こうまで判りやすくも憤然とするだなんて。この彼が、あんな綺麗に微笑ってそれから、こんな風に怒るだなんて、当時の仲間の誰が思ったことだろか。どれほど心穏やかに、豊かな日々を送っているのか。どれほど幸せに暖かく、充実して過ごしている彼なのか。語られずとも溢れてくるとは正にこのことで。
「旅先でもさぞや楽しい毎日なんでしょうね。」
 こそり、元・惣領殿へと耳打ちすれば、
「まあな。毎日が大発見ぞ。」
 目許を細め、くすすと楽しげに笑う勘兵衛を、今度こそは自分が笑われたとばかり、ちょいと睨んだ久蔵だったが。すぐ傍らにいた七郎次の笑顔へは、あややと彼の方こそ どぎまぎするところが変わらない。
「…。///////
 今でこそ、父上と年若き伴侶の放蕩を、息子夫婦が待っている実家のような扱いになっている蛍屋だが。
(おいおい) 無論のこと、勘兵衛の側にはそんな足場にするつもりなど全くなかったのは言うまでもなく。ただ、神無村での冬籠もりを終えて、何とか旅立てるまでに回復した久蔵の更なる快癒のため…とそれから。万が一にも詮議の手が回って来たときに、村へと後難が及ばぬように。さりげなく居処を移した他のお侍衆と同様、早々に当地を離れることと相成った彼らに、
『まずは蛍屋で様子見をしてくださいな。』
 虹雅渓との往復を重ね、情報収集をずっと手掛けていた七郎次が、
『あすこにいる分には、公安からの手入れが入っても“逗留客で店には関わりなし”という白も切れましょう。』
 そんな風に導いてくれてのそれから、
『金創や骨折、肉の筋に関わる症状に効く湯というのを聞いて来ましたよ?』
 北や南にこだわらず関わらず、有名な温泉の情報を集めての、湯治へのお膳立てまでしてくれて。
「あれは大きに助かった。」
 当時の混乱状態を懐かしみつつも、彼らの奮闘や手厚い手助けあっての現状だと。しみじみ告げる勘兵衛の言へ、久蔵までもが柔らかく笑って見せれば。さっき綾磨呂へと見せた、結構本物に近かった殺意なぞどこへやらな嫋やかな風情への落差には、雪乃までもがくすくす楽しそうに微笑って見せて。
「なに、アタシらだけの手柄じゃあござんせん。」
 七郎次の繰り出した“手柄”という大仰な言い回しへと、今度は勘兵衛が苦笑を返したが、
「ヘイさんゴロさんが、試しにと旅先のあちこちへ置いてってた、電信の中継機が功を奏してくれてもおりました。」
 これまでにも、全くの全然 存在しなかった訳ではなかったが、それでも…電波を使った遠隔通信というもの、あの大戦の後は商人たちにでもその手法や何やを体よく独占されたものか。ただでさえ何とか無事に現存した地域が、それぞれ遠く離れ合っていた状態へ陥っていたその上へ、一般の社会においては影さえなかったその結果、情報伝播という大切な流通、どれほど後戻りをしてしまったことか。早亀により書状を直接届ける飛脚という最も原初の形態へと戻っていたくらい。そこでと、病床にありながらも、盗聴されぬ特別な電波や、それを発信着信し、更には中継する装置を発案製作した平八が、試験的にと旅先の各地へ置いていったものが しっかと機能し。一番の最初に、要となる中継地にされたこの“蛍屋”で、遠い辺境の地の様々な情報が、いち早く入手出来るようになって…早くも数年ということになる。先にも触れたが、今や早亀屋までもがその業務確認の連絡に使っているほどの普及振り。やがては広域流通の整備などへも貢献するに違いなく、これもまた、先々が楽しみな要素ではあるということか。

  「それでもね、伝えてくれねば知りようがないのは変わりません。」

 ふと。趣き深い声を出した七郎次であったことへ、おやと顔を上げた久蔵を、やんわりとした眼差しで優しく見やった若主人、
「警邏隊の兵庫さんがね、いつもいつも言い置いて行かれるんですよ。“久蔵が来たら、本部へも顔を出せと伝えといてくれ”と。」
 綾磨呂殿のお越しで思い出すとは、アタシも大概忘れっぽいことですが。そうと付け足してのそれから、
「あれからも、あんまりお逢いになってないんですってね。」
 それが薄情さからならば、今更だからどうということもないが。もしやして気後れがあってのことならば、そんならしくもないことで腰が引けててどうするかと、挑発してやってでもこっちへ来させておくれって。
「いかにも強気な、憎まれのようなお言いようではありましたが、心配なすっておいででしたよ?」
 彼に成り代わっての案じるような眼差しになった七郎次へと、
「………。」
 返す言葉もありませんとばかり、神妙にも伏し目がちになったまま。細い首を項垂れさせて、ちょいと俯いてしまった次男坊。数十年にも及んだ長い長い大戦の終焉後、潰しの利かない侍でしかなかった者らが、大量に“浪人”に落ちぶれたそんな中。ここ虹雅渓の差配だった綾磨呂の警護を担当するという ずんと高級特別な職を探して来、魂が抜けたようになっていた久蔵を誘ってくれて、何とか しのげるようにしてくれたのみならず。その後もずっと、社会適応という点で危ういところの多々あった彼を、叱りながら毒づきながら、それでも甲斐甲斐しく助けてくれていた、少しほど年上の元・同僚。ぼんやりと空ばかりを見上げ、刀への手ごたえでしか生きている証しを感じられないまんまだった久蔵が。どんどんと幽鬼のようになっていったそのぎりぎりのところで、勘兵衛らと出会い、その血を騒がされ。その揚げ句に、商人側との縁を切って彼らの側へと走ったその時、直接その手を振り払う格好になった相手がその兵庫でもあって。
「…。」
 久蔵にしてみれば、自分なりの“筋”を通した上での決別ではあったのだが、あんな格好で突き放された兵庫の側は、さぞかし驚いたことだろし。もしも刀まで繰り出しての反骨でなかったならば、ああもうこいつは まだそんなことを言ってと、今時はどちらが常識派なのかを説いてやろうと。ちょっとそこへ座れとばかり、侍にこだわった久蔵を“長生き出来んぞ”と叱ってやりたかったに違いなく。
「ちゃんとお伝えしましたからね? 逢いに行っておやんなさいよ?」
 そうすることが久蔵を思う人とそれから、久蔵自身のためでもあるのだからと、優しい気遣いをしてくれる人。勘兵衛らの側についてから、戦い以外へは心許ない自分へ何くれとなく構ってくれた七郎次が、そういえば。時々は、あの黒髪の口うるさい男と重なることもあったなぁなんて。
“…全然、似てもないのに。”
 髪の色も眸の色も面差しも。話し方や声の高さも口癖も。趣味も気性も心だても、どこもかしこも全然まるきり違うのにねと。今頃になってこっそり不思議がってる久蔵だったりするのである。






            ◇



 さて、随分とお話は戻るが。腕のギブスを交換されて、不自由な身から一気に解放された久蔵であるのを良いキリにと。虹雅渓に行ってみて、世間様の状況を探って来たいと言い出した七郎次。そんな彼に、路銀の足しになろうから持たせたいと、久蔵が屋根裏から引っ張り出した謎の木箱は、彼の右腕に装着されていたギブスがまだ大きいそれだった間、囲炉裏端に延べられていた衾から見上げるたび、いつもいつも視野に入っては無性に気になっていたものであったらしく。やっとのことという案配にて確かめてみたところが、やはり名のある作家の手になる作品が収められており。
「お預かりしたあの絵は、四百金にもなりましたよ?」
 この家の元の持ち主のものだったらしき、和風の巻物に装丁された一幅の絵画。一応、長老のギサク殿へとお伺いを立てたところが、
『村にはもはや、子孫さえ居残っておらぬ家のもの。そんなものがあったことさえ儂らは存じ上げなかったくらいですきに、お侍様方でお好きに処分なさって下さいまし』
 そのようにご快諾下さったので、それではと。久蔵が…筆使いは左利きだったことを幸いに、さらさらと書いた書き付けと一緒にし、虹雅渓に着いたら街のとある骨董屋へと向かえという指示に従ったところが、
『へえ、どんな御用でしょうか。』
 見かけぬ若い男という客へ、どこか横柄な態度でいた店主が、だが、差し出した書き付けの裏書きの名前へ“ひっ”と息を引いてからの、さあ おもてなしの凄かったことといったらなくて。
『いやぁ、いつものお使いにいらしてた若い御方ではなかったものですから、不調法を致しまして。』
 最初に“なんだ素人か”という雰囲気の、ちょいと木で鼻を括ったようなあしらいをしたことへと詫びつつ、結構豪勢な作りの店の奥へと案内されての、下へも置かず。やれお茶だ、いやいや生一本の酒だ、吉兆の膳を手配なさいとの大騒ぎ。そうして、持参した絵をきっちりと隅から隅まで検分してから、
『大原丹渓の山水ですな。箱書きが読みにくいのは難ですが、状態もよろしいし、金四百でいかがでしょうか。』
 素人の七郎次には売値の相場が判らなかったのではあったが、金二百五十以下なら、何も言わず嘲笑してやるといいとのご指導を受けていた“奥の手”は使わずに済んだ。
「…そうか。今時に流行の題材であったか。」
 思っていたより高く売れたことへ、久蔵はそんな言いようをしていたが、それだけでもあるまいとは、客商売にも慣れのある七郎次の感触で。
『久方暁光センセイにはいつもお世話になっております。』
『…はあ。』
『今後とも、当店をよろしくと。掘り出し物があれば是非ともお忘れなくと、お伝え下さいませね?』
 その名のセンセイの機嫌を損ね、信用を失っては、商売上の“これから”に悪影響が出ようと解釈されたからだというのがありありとしており、
「久方暁光というのは、何かしらの雅号かと思ったのですが。」
 裏書きとそれから、書き付けの最後に久蔵が連ねていた名前のことで。七郎次から問われると、
「………。////////
 ちょっぴり照れて見せてから、久蔵の言うことには。
「御前のところの、と、身元が明らかになっては困るときに使ってた。」
 何もあの差配の資産を削るとかどうとかいう後ろ暗いことをしていた訳ではなくて。仲間内での賭けで勝って手元に巡って来たとか、勝手に“怒らせてしまった”と震え上がった相手が機嫌を取ろうと差し出したものだとか。そういった格好でやって来たものを、自分が持っててもしようがないからと捌いた時に、言ってみればちょっとした茶目っ気、同僚だった年嵩の男が“そうした方が面倒が起きない”と助言をくれたので従ったまで。
「それにつけても…。」
 金四百というのは相当な大金。何をもって普通とするかは難しいところだが、虹雅渓でそれなりの定職に就いている中流層の人物の、妻と子との3人家族が、とんでもない贅沢さえしなければ1、2年は働かずとも十分生活してゆけよう金額であり、
「医師殿への払いや、菊千代の新しい体へのあれやこれやに相当かかると踏んでたんですが、そっちへの心配は要らなくなりましたね。」
 本当に助かったと七郎次は胸を撫で下ろして見せ、
「一応はギサク殿にも報告せんといかんだろうな。」
 勘兵衛が当然ごととして付け足した。好きに処分して下さいとは言われたものの、そこまでの価値があったというのは、確かに黙っていていいとも思えない。とはいえ、
「ですが、金子のままで渡すのもどうかと。」
「うむ…。」
 そこは勘兵衛にも七郎次にも通じている憂慮だったりする。使う使わないは別として、下手にそのような資財があると、余計な奇禍を招きやすい。例えば村のあちこちを修復して小ぎれいにしただけでも、近在の村から何かと話のタネにされやすくなるだろうし、何よりも人の心に要らぬ“勘定高さ”を招く恐れもある。正直者の村なればこそ、その報いのように豊かになるのはよいことなれど、要らぬ諍いを招く種ならやはり持ち込まない方がいいというもので。
「下らない争いごとなぞに、心痛めて欲しくはありませんものね。」
 さんざん苦労して来たから…というのは勿論のことだが、それのみならず。今でこそ、間近に訪なう長い冬が連れてくるのだろう、深い雪の中へと眠りにつかんとしている頃合いだけれど。瑞々しい緑の大地に抱だかれて、素朴な心根のまま実直に、何百年も前とさして変わらぬ日々を今も送り続ける、暖かい人々であり続けてほしいから。
「集会所や水分りの巫女様の祠や居処だとか。見かけからは違いが分からないが、実は内装を補強しましたというような。そんなクセのある手入れをしていただくというのも、一興ですよね。」
「そうさの。」
 まあ、この村の冬はたいそう長いそうなので。その間に“ああでもない、こうでもない”と、長老たちで色々考えていただけば良いさとばかり、村へ授ける“明日への宿題”とし。

  「それで、ですね。」

 虹雅渓へのお使いから、5日振りに帰って来た母上へ。寂しくて足りなかったところを少しでも多く補充したいかのように。まずは温みを分けて下さいと、お膝とお膝がくっつくほどにも、ひたと寄り添っていた久蔵の方へ、彼の側からも向き直った七郎次。

  「指示された骨董屋で、とあるお人に声をかけられましてね。」
  「…?」

 七郎次は、あの“都”の撃墜という大事件を世間がどう捕らえているのか、それを秘密裏に調べに行った訳で。よって、本来は骨董屋などには用もなかった筈であり。それを退けても、彼自身が“縁のない場所だ”と、久蔵の指示を聞きつつ困り顔をしていたくらいだったのに。蛍屋の幇間だと見覚えていた贔屓筋だろかなどと、勘兵衛ともどもその想像の先を落ち着けかかっていたところが、

  『…久方暁光の使いというのはあんたかい?』

 そうと訊かれたと七郎次は続けて、
「ほら、あの。式杜人の洞窟までは久蔵殿と一緒していた、綾磨呂の護衛だった侍の。」
「……………え?」
 久方暁光という偽名に反応したというだけでも、ピンと来るべき人物だったが、
「生きてらしたんですねぇ。」
「………あ。」
 癖のない黒髪を肩から背中へかかるくらいにし、上の方だけ引っつめにして結っていた。頬骨も高く、鋭角が過ぎて、ややもすると刺々しいばかりの険のある面差しをしていたが、気性はさほどに冷たくもなく。何より、久蔵の覚束無いところを、そりゃあもうもう補佐しまくってくれていた、面倒見のいい男でもあって。刀を振るわせれば久蔵とは互角だったかも知れなかったが、これからの時代を制するだろう鉄砲へあっさりと関心を向けたり、驕った商人らの構え始めていた、傲慢な“選民思想”というものに、さして眉を顰めることもなかったり。ほんの僅かずつながら、歩む道が、見据える先が、自分とはズレ始めてもいた彼であり。勘兵衛との決着を焚きつけておきながら、こそりと銃の照準を合わせていたことへ、こちらもこちらの優先順位が働いて。容赦なく斬り払った相手ではあったけれど、
「………そうか。生きて…。」
 久蔵が驚いたは、七郎次の感慨とは…実は微妙にズレており。

  “
あの修羅場の中からよくも…。”

 右京が巨大な戦艦“都”とその防衛部隊という大軍勢を率い、色々と知り過ぎた者らの多く集いし この神無村を攻め落とすことで、支配者・天主に刃向かうは許さじと天下に…殊に事情を知る者へと強く、広めようと構えていたあの決戦の場にて。久蔵は、その兵庫に既に覲
(まみ)えていたりする。自分でも気づかぬどこかで力を抜いたものなのか、荒野での対峙で斬った折、そのまま息絶えた彼ではなかったらしく。それなりの怪我から復帰してのちも、しばらくほどはあの右京の傍らに、テッサイと共に居続けた彼だったのだとか。だが、あの修羅場の中へと現れた彼は、もはや右京の側近でもなければ、彼へと義理立てなぞもしてはおらず。ただただ久蔵との けじめとなる決着をつけたがっていただけであり。ようよう気が済んだ彼は、被弾し倒れた久蔵へと襲い掛からんとした、魂を抜かれた野伏せりたちを打ち払ってもくれた。双方ともにズタボロになったが、まだ左腕は動かせた久蔵が都へと去るのを、地に倒れたまま見送って…その後の彼がどうなったのかを自分は知らず。
「………。」
 面識があるのみというような間柄にすぎぬ勘兵衛らに、わざわざ告げる話でもなかろうと思い、今の今まで語らずにおいたまでのこと。まさかにこんな形でその消息を知ろうとはと、少なからず驚いたらしい久蔵の様子を、いたわるような眼差しで見やっていた七郎次は、
「向こうもアタシの顔は何となく覚えていたらしくって。」
 もっともそれは、蛍屋の幇間だったってこともあっての物覚えだったらしいんですがねと。久蔵の胸の裡
(うち)には、当然のことながら気づかぬままに、街から持ち帰った情報としての報告を続けて、
「警邏隊の本部までなんて連れ込むと警戒されようからのと。それでもあの街の上層部の小綺麗な茶店まで付き合わされまして。」

  ――― 都を墜とし、若を…右京を殺めたのはお主らだろうと、

 俺は踏んでいると、彼はそうと言って、でも。
「そんなことは、今やどうでも良いとも言ってました。」
 お主らと若の関わり合いや何やという、一通りの悶着の最初からを知ってる俺だから、その筋道を把握した上で“そう”と理解も出来るのであり。こやつらが首謀者一味だと叫んだところで、たかだか十人にも満たぬ頭数の浪人風情。武装も刀だけという連中が、あの凄まじい陣営をねじ伏せたのだなどと、一体誰が信じるものか、と。自嘲するように笑ってそれから、
『俺も、この町の警邏で忙しいのでな。』
 天主から任命されたというクチではなく、逞しき自力で、この、最初から流通主体で発展してった虹雅渓という街の権力者となった前・差配。そんな綾磨呂公が復権するまでは、何とか踏ん張ってこの街の“状態”とやらを保持したいからと、
「その弊害にしかならぬような、下らぬ“根も葉もない噂”なぞは、片っ端から排斥してゆくからと。そう言っておりました。」
 遠回しながら、お主らを捕まえたり人々の前へと引っ張りだすつもりは さらさらないと。わざわざそう告げてくれたということになるが。それすなわち、

  「…辛いことのみ多かりし責務だの。」
  「はい。」

 右京の死を美化したければ、彼を殺めた犯人を捕らえねばならず。そんな大事件、我らとは無関係と断ずるには…出身地であり、行幸のその直前まで寄港してもいたこともありという、あまりに近しい関わりがあるが故に、そうと言い張るための確たる理由を立てねばならず。さもなければ、そんな恣意的な主張を強行すれば、たちまちにして様々な憶測と共に誹謗中傷も飛び交うこと明白で。それより何より、絶対的な支配者不在というのは、組織の組織としての根幹を支える柱がないということ。あまりにも無茶苦茶な、冒険というよりもはや無謀としか言いようがないことを、それでも自らの踏ん張りで維持したいと言っていた彼であり。しかも、

  ――― 下らぬ“根も葉もない噂”なぞは、片っ端から断じてゆくから

 お主ら浪人風情や神無村の農民たちが都を墜としただなぞと、そんなあり得ない虚言を吐く奴がいたとしても、警邏隊を率いる自分は取り合わないと。誰が何と言おうと、少なくとも虹雅渓に於いては断罪させないと。そんな大事までもを言い切った彼だったと、聞くに及んで。ありがたい話ではあったが、果たして彼一人の双肩で支え切れることであるのか。何だか気の毒にとさえ思えて来た、勘兵衛や七郎次であったらしいが、

  「兵庫なら、大丈夫。」

 久蔵が、ぽつりと呟いた。
「…久蔵?」
 いやに確信を持って言い切ったは、元・お仲間の贔屓目からのことでは 勿論なくて。彼には、その背中を慕う者らがうんといたことを覚えていたからに他ならない。酷薄さや厳しささえもが、彼の強靭な気概となって映り、多くの者らを惹きつけていた。確かに、要領というものを大切にせねば生きてゆくのは難しいぞと、いつも久蔵へと説いていた彼だったが。迎合も時には必要と、柔軟なところも持ち合わせていた彼だったが。利に走り、小賢しさで武装し、という、中途半端な強さじゃあなく、芯には侍としての意気地を持ち続けていたことを、自分はよくよく知っている。仕える人への忠心に潜んでいた矛盾に押し潰されそうになったその末、刀に生きることへとやっと立ち戻れた彼の。それは生き生きしていた眸を知っているから。だからきっと大丈夫だと、断言出来る。





            ◇



 盛春のほのぼのとした暖かさに、ついつい欠伸も出る昼下がり。門を護りし衛士も、ついのこととて大きな欠伸を1つ、宙へと放ち。小袖の上へと重ねた和装の、広く開いた袖口の端にて、涙の浮いて来た目元を擦れば、
「…っ、誰だ?」
 人の気配がないからこそと、安心しての緩みようだったのに。公道の大路ほどではないにせよ、結構幅のある道の向こう、柳の根方にいつの間にか立っていた人影があって。その人物、間違いなくこちらを見やっていたものだから、今の大欠伸も当然見られたに違いないとの焦りから、
「此処は虹雅渓 警邏隊本部ぞ。用のない奴はとっとと去れ。」
 民間人がほいほいと来るところではないわと、やや居丈高にも言い放ったものの、
「…。」
 その人物、まるで聞こえていないかのように表情にも眼差しにも変化がない。怯むこともなければ焦ることもなく、ただただ、衛士の向背に掲げられた一枚板の大看板をまじまじと眺めており、
「…っ、こやつっ。」
 この俺を愚弄するかと、何だか勝手に盛り上がった衛士の声が届いたか、
「どうした。」
 門の中から、こちらは少々 位が上か、かっちりとした制服姿もブレザーぽい洋風の。身ごなしも毅然とした士官が一人、姿を現した。
「門前での騒ぎとは捨ておかれんぞ?」
「あ・いや、あのその…。」
 問題の人物は別に何かしらの悪さをしでかした訳でなし、強いて言えば自分が勝手に…腑抜けていたところを見られたと思い込み、決まりの悪さから絡んだまでのこと。何でもありませんと誤魔化そうとしかかったところへ、
「…。」
 その民間人、やっとのこと看板を見飽きたか。視線を外すと今度は、門前に立つ二人の関係者へと視線を投げる。いや、その視線の真正面にたまたま彼らが立っていただけであり、自分たちを見てはいないとすぐにも判った士官と衛士。自分たちを蹴散らかすこと、物ともせずというか、意に介さずというか。そのくらいの勢いでつかつかつかと真っ直ぐに、こちらへ向かって来た彼だったものだから、
「ああ、これこれ。勝手には入れぬぞ。」
 制止の声をかけたところが、それはさすがに聞こえたろうし、こちらの二人が一応は見えてもいたらしく。だが、
「…。」
「ですから。何用での訪ないかの?」
 誰ぞ隊士への面会か、それとも陳情の類いかな? 受付までを案内しましょうと、士官のお兄さんが愛想よく接したのは、その民間人がなかなかに美麗な人物であったから。若木のような肢体は すらりとしなやかにして伸びやかで、春の陽気に淡くけぶる金の髪が冠のよう。細おもての面差しは、切れ長の眸の少々鋭いのが難ではあったが、頬骨も立たぬするんとした輪郭に、抜けるような白い肌。峰の通った小鼻や浅い緋色の口元も形よく、それらが総合された印象の、なんと玲瓏で嫋やかなことか。
「…。」
 かっくりこと小首を傾げた所作も優雅と来て、これはもしやして…上官や上流階級の誰かしらのご子息かも知れず。粗相があってはと畏まったまでのこと。とはいえ、
「…。」
 あまりに寡黙なのが、やはり不審で。
「大丈夫すか? このお人。」
 木の芽どきですし、その…ややこしい人だったらどうします?などと、衛士は何だか面倒になって来たらしく、
「対処が遅いとか何とか隊長に叱られませんかねぇ。」
「…う〜ん。」
 一応、今は何も出來
(しゅったい)してはいないものの、だからと言って油を売っていていい身分でなし。此処は帰れと追い返すべきかなと、まだ若い士官が躊躇していると、

  「ああ。その者は通していいぞ。」

 そんな声が背後から立って。何げない一声へ、だが。
「…っ。」
 士官も衛士も即座にはっとして、たちまちのうち、背条を伸ばしてしまう。振り返らないままのそんな態度は、却って失礼に当たらないのかなと。不審者にまでされかけていた来訪者が、余計なお世話の心配をしてやっていると、

  「やっと来たな、久蔵。」

 声の主は、その声に仄かながらも柔らかな響きを滲ませると。だが、態度は不遜極まりなくも、細い顎をしゃくるようにして、敷地へ入れとの仕草をし。
「…。」
 だがまあ、逆らう言われもなし。何より、彼へと逢いに来たのだからと。そのまま、しゃちほこばったままの二人の前を通り過ぎ、既に歩き始めている旧知の友の背を追うように、警邏隊本部の中へとその足を踏み入れた久蔵である。

  「久蔵…と言われたな、確か。」
  「へえ。確かに、兵庫様はそうと。」

 まだまだお若い身空で、混乱期にあった数年前のこの虹雅渓の治安を守るため。そんな権限はなかろうとの罵声を浴びようと、反感を買おうとお構いなしに、犯罪行為の取り締まりと治安維持のための警邏を徹底して執行なさり。度の過ぎる蛮行には、これも已なしと、裁きたいならどうでも裁いていいとの宣言とともに、刀を振るいまでし、その身を血に染めても悪行を律して来られたのが、現隊長の兵庫殿。その彼が時折、うんと限られた場と時にのみ、懐かしそうに口になさるお名前が、

  ――― 久蔵、というものであり。

 但し、そのお話の内容はといえば、見目は綺麗でもとんでもなくずぼらでいい加減な奴で、どんだけ手を焼かされたかとか、悪口雑言の方が多かったのではあったけれど。
(笑) それでも、滅多に見られぬほどお優しいお顔になられるものだから。どんなに大事なお友達なのかと、皆して色々と想像してもいた、そのお人であるらしく。
「…うわ〜〜。綺麗な方でしたね〜♪」
「ああ。どこの華族様かと思った。」
 意外だなぁと、溜息吐息。だって、そのお友達、皆の間での通り名が、

  「あれが“クマ殺しの久蔵”さんだって?」

 誰ですか、そんな通り名を定着させたのは。
(笑) 少し前にはらはら散った、桜の華麗さを思わせる美人さんだったこと。一体誰が信じてくれようかと、若い士官と衛士の二人、眼福の喜びと共にそんな悔しさも噛み締めてしまったそうでございます。






 兵庫が旧友を通したのは、彼の居室となっている隊長室で。さして奥向きに位置していなかったのは、彼が机の前から動かずに前線へ指令を出すだけの司令官ではないことをあっさりと悟らせた。大きな窓からは中庭が見渡せ、壁にかかるは見覚えのある軍刀で。だが、さすがにいで立ちは昔のあの、少々傾
(かぶ)いて見えた派手なそれではなく。先程出て来た士官とさして差のない、スーツのような堅苦しいそれ。マントのような薄手の外套を羽織っているので、少しは洒落っ気のある遊びも出来るというところか。
「? どうした?」
 薦めた椅子へと座らず、じぃとこちらを見やる久蔵であることに気づいて。サイドボードの上、茶器を手に仕掛かっていた兵庫は、つい、呼ばれるままに踵を返す。
“…ああ、しまった。”
 これでは昔のまんまではないか。こやつはいつもこうやって、ずぼらにも人を視線だけで操作していた。ムキになって無視をすればしたで、いきなり駆け寄ると下まぶたを引っ張られたり耳をぐいぐいと引いて覗き込まれたりし、
『なんだっ!』
『目か耳が…。』
 調子が悪いのかと思ったと。声を上げもせず、手も振らない身で何でそういう心配になるのかを教えてほしかったが、もう何かどうでもいいやと、結局は言いなりになってやったっけ。
「…。
(くす)
「…?」
 兵庫が零した小さな思い出し笑いに、怪訝そうな顔をした久蔵だったが、間近までやって来た相手へ、懐ろから取り出したのが、少々くしゃくしゃになった紙の包み。それを差し出すので、受け取って、元は細い封筒のようだったらしい中を覗き見れば、
「…おや。」
 漆の黒地に朱と金の散らし柄が小粋な、柄の長いかんざしとそろいの図柄の笄
(こうがい)が収まっており。
「結構な品じゃないか。このつや塗りに、朱も特別のベンガラみたいだし。」
 さすがに久蔵と同じ環境にいただけのことはあり、彼もまた相当の目利きだったから。そこいらの和装小物の店では到底手に入らぬランクの品だというのはすぐにも判ったらしく、
「俺に使えと?」
「…ん。」
 瞬きのついでみたいに一回だけ頷く彼へ、今はこの成りだから頭へも差してはないのだがと、思いはしたが言いはせず、
「かたじけない。」
 礼を述べれば小さく笑う。おっと思って、だが、それがチリリと胸に痛い。


  ――― 腕は? もう大事ないのか?
       ん。

  ――― 活躍ぶりは噂で聞いてる。
       …。

  ――― 毎日、楽しいか?
       ああ。

  ――― なら、良いさ。


 本当ならば、あんなむちゃくちゃな奴になど預けたくはなかった。無謀で厚顔、老獪で破天荒。どこの仙人かというような、分別ある いい大人ぶって収まって見せてるが、島田勘兵衛というあの男、何となったらどんな手でも使う狡猾な奴で。相手の足を踏むわ、顔へと肘打ちかますわ、揚げ句の果てには金的を掴むわ。そんな野郎へ好き勝手させるためにだけは、渡したくはなかったのが偽らざる本音だったのに。
「………。」
 馬鹿で手を焼かされるばかりの、何ともしようのない奴だけれど。それでも…この自分が唯一、刀を振るう腕を素晴らしいと手放しで認めた存在で。自分では到底敵わぬその悔しさを胸に押し隠しつつ、それでも目が離せぬ正に魔性だと、ある意味で相当に入れ込んでもいたから。そんな彼をこうまで間近に見ていられることを、ちょっぴり苦いながらも喜びとし、一体どこまで伸びるものなのやらと、楽しみにしていればこその、振り回されっ放しの日々だったのに。

  『…生きて、みたくなった。』

 そういやお前、大戦が終焉を迎えてしばらくは、いつも空ばかり見上げてた。斬艦刀の間を伸び伸びと飛び回れた、刀との一体化に浸れた空へ、ずっと帰りたかったに違いない。うっかり魂を置き忘れて来たんじゃねぇかと毒づきながらも、そんな彼を見ていられず。仕事を見つけてやっても、どんどんとその双眸から生気が失われてゆくのが判って。まるで、必ず死に至る毒を、十年がかりで効くようにと急所から遠いところへ刺されたような。そんな姿だと思ったほどに、痛々しかったのにな。クマ退治にサメ退治に、野盗も捕まえりゃあ、こないだは、自警団とは名ばかりの、武装暴走族を一網打尽にしたんだと? しかもそのどれもがあの髭面との共同作業で、そんなこんなの毎日が楽しいだと? 前から そんなやわらかく笑えてたか? お前。

  「…兵庫?」

 ふっと黙り込み、自分の顔をまじまじと眺めやる旧友に。どこか怪訝そうなお声をかけて来る。金の髪と赤いいで立ち。鮮烈なはずなのにどこか心許ない様子なのを、誰かさんはカナリアみたいと評した久蔵へ。こちらさんも負けないほど派手だった装いを、今は大人しく沈めた昔の相棒。何となく切なそうに口許を歪めると、それでもはっきりとした声音で、

  「蛍屋の若主人に迷惑かけられないような悶着が起きたら。
   そん時は、あの髭面も一緒で良いから、ウチへ来い。…判るな?」

 そうと、やさしく囁いて。目には見えない魔法の鍵を、彼にとっても次男坊のようなものの、そんな久蔵へと授けたのでありました。








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  *兵庫さんについて。
   地上波、及び DVDをご覧になっただけの方には、
   何でまたこの人までが生きているのかと、
   何もそこまで遡らなくともとか言われそうですが。
   このお方に関しては小説版での扱いが微妙に違っておりまして。
   (未読の方も多いことでしょうから、そこへはあまり触れないよう心がけますが。)
   これまでに一度も書いたことのない、扱ったことのないお人ですが、
   どうも何だか、この人は久蔵さんの数少ない身内というか、
   家族のような気がしてならずで、
   この設定にも出て来ていただくこととしました。
   勝手ばかり並べてしまっててすみませんです。

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